『真夏の夜の風』 時渡十海

 夏休みだってぇのに毎日補習だ。
 まったくヤになっちゃうぜ…と言うのはアクマで建て前。クーラーもねえ暑苦しい道場でオヤジにしごかれるよりはずっといい。いや、誤解のないように言っておくが別に野郎同士でひっつくのが好きだとかそう言う意味じゃなくて…ええい。俺が言いたいのはだなっっ。要するに。同じ暑い思いをするのなら、気心の知れたダチといる方がいいってことだ。

 その日も朝から暑かった。
 こんな日はさすがに品行方正な俺も勉学に身が入らず、ついついよそ見に精が出ちまう。ことに、ここの教室の窓からはテニスコートとかプールがよく見えるのだ。そんな訳だから、窓際の薫夜の顔が…くれぐれも言っておくが、たまたま目に入っただけだからな…いつになく、ぼうっとしてるのに気付くのに、それほど時間はかからなかった。
 こいつときたら、前髪を顔半分隠れるほど伸ばしてるもんだから、なかなか顔色がわからないんだが、そこはそれ、永年の付き合いと言うやつでおおよその表情の見当はつく。こんな時はたいてい普通の奴には見えないモノを見ている事が多いんだが、それにしちゃ様子がおかしい。何が見えているのか確かめるのも恐かったが、聞かないでいるのも余計に変な想像しちまうから、思いきって小声で話しかけてみた。
「おい、ひーちゃん、どうかしたのか?」
「…あ、ああ…」
 どうしたんだ、ひーちゃん、そのとろんとした目つきは! 心無しか顔が赤いじゃあねえか。白い肌がうっすら上気して、呼吸も荒い…。ば、ばか、何だって俺迄一緒に赤くなってんだっ。
「その…どっか体の具合でも悪いのか?」
「頭が…」
ふらりと揺れた夏服の腕が俺の手に触れる。薄い布地を通して、奴の体温が直に伝わってきた。
「おいっすげえ熱じゃねえかっ」
「騒がしいぞ、一条寺。まだ補習中だ。」
 だーっすっこんでろ犬上、うるさいのはおめーだ! …っと口に出して言いたいのは山々だったが、薫夜(と崖っぷちの化学の単位)のためにぐっとこらえることにした。
「先生。飛龍が調子わりぃみたいなんだ。保健室に連れてってやっていいか?」
「ダメだ。」
「どーしてだよっ」
「あのなぁ、一条寺。今は夏休みだぞ。保健の先生が、来てるわけないだろ。」
…そーいや、そうだっけ。
「は…っくしゅんっ」
 その時、妙にかわいらしいクシャミが聞こえた。俺の、すぐ隣から。
 見ると、薫夜がポケットティッシュ(ぱんだ付)でこそこそと鼻をぬぐってるところだった。ちょっとうつむいてるけど、お前、恥じらってるのか、ひょっとして。
「ま、いいだろ。夏風邪はこじらすと厄介だからな。残り時間も少ないし、お前ら今日はもう、帰っていいぞ。」
この瞬間、俺様は不覚にも犬上を抱き締めてキスしたい衝動にかられてしまった。(いや、実行はしねーけどな、気色悪いっ。)
「さんきゅー、先生、恩にきるぜっ」
 
 俺は当然、薫夜を家まで送って往くことにした。
 何せ、奴ときたらふらついてまっすぐに歩くこともできないような状態で、危なくてとてもじゃないが見てられない。…ので、安全のために腕を組んで薫夜の体を支えながら歩いた。心無しかすれ違う通行人の目線が痛かったが気にしないことにした。
「しっかし何だって風邪なんか。」
「クーラーつけっ放しにしたまま…寝たから…」
「案外うっかりもんだなあ、ひーちゃん。」
「すまない…」
「気にすんなよ、親友だろっ。」
親友。口に出したら何だか急に気恥ずかしくなって、俺はバカみたいに立て続けにしゃべりまくった。照れ隠しってやつだよ、うん。
「ま、俺ん家なんかうっかりしようにもクーラー自体がついてねぇからな。何せ古ぃから、クーラー取り付けようとすっと、壁が崩れてくんだわ。去年なんか風呂場の天井が抜けてよお。1週間も銭湯に通うハメになったんだからたまらんぜ。今どき珍しいよな、こんなビックリハウスも。何だったら今度泊まりにくるか? ああん?」
「…いいのか?」
「も、もちろん、いいに決まってるじゃねえかっ」
何だか、余計に恥ずかしくなったような気がするのは、何故だろぉ…

 薫夜の家に着くと、中はしぃんとしていて人の気配もなかった。何でも妹二人と両親は、おばさんの実家に泊まり掛けで遊びに行ってるらしい。何で薫夜だけ残ったかは…それは言わぬがハナだ。(いや、俺も人のこと言えた義理じゃないけど)
「ほら、早く着替えて横になれよ。」
「う、うん…」
「横着して制服のまま寝るんじゃねえぞ。ちゃんと汗拭くんだぞ。」
「わかった…」
「鞄ここに置いとくからな。風邪薬は下だな? 食欲あるか?」
「あまり、ない。」
「でも薬飲む時ゃ何か腹に入れた方がいいぞ。よし、ちょっと台所借りるぜ。」
いそいそと台所にゆき、冷蔵庫を開けると、俺は卵を取り出した。日本酒は…へへ、やっぱりここにあったか。こう言うのを勝手知ったる何とやらと言うのだろう。ついでに、そこらに掛かっていたパンダのエプロンを拝借する。ちょっとキツイなあ。ひょっとしてこれ、碧のか?
 使うのはナベを二つ、大きいのと小さいの。あとは泡立て器。計量カップが見つからねぇけど、まあ普通のコップでいいだろう。ああ、これでいいや…結構でかいマグカップだが、大は小を兼ねるって言うしな。
 何を作るのかって?決まってるだろう。風邪にはやっぱり、卵酒だぜ。
 
<<卵酒の作り方>>
(1)大きい鍋にお湯を沸騰させ、そこに小さな鍋を浮かべる。(湯せんにする)
(2)ここに卵の黄身を4コ分、水をコップに7分目、砂糖大さじ1杯入れて泡立て器でよくかき混ぜる。
(3)ちょっとねっとりしてきたらお酒をコップに半分加えて、再び暖めてできあがり
(注:このレシピにはささいな欠点があります。どこでしょう。(配点10))

 作り方を見てると簡単なんだが、いざ実行すると、これが結構難しい。卵の黄身と白身がなかなか別れてくれねえんだよな、これが。こう、二つに割ってかたっぽの殻に入れて…だあっまた失敗したっ。ああっ今度はカラが中に入っちまったいっ…よし、どうにか別けたぞ…次は湯せんであっためて…っかしこの泡立て器ってのは使いにくいぜ…こう…かしゃかしゃと…おわっ。ひっくり返しちまったい。あ〜あ、また最初っからやり直しだぜ… 
 ほんと、女性って偉大だよな。
 どうにかレシピ通りに「ねっとりと」させる事に成功したんだが、今度は味付けを間違えてとてもじゃねえが飲める代物じゃない。ええい。証拠隠滅だっと腹の中に流し込む。いや、流しに捨てると言う手もあるんだが、やっぱり食い物をソマツにしちゃいけないよな、うん。
 こんな調子で挫折をくり返すうちに、はたと気が着くと卵が無くなっていた。
(答:卵を大量に使う)
「ええい、要するに体があったまればいいんだっ」
何かないかっ?
見回すと、サイドボードに並んだ洋酒のビンが目に入った。そうだ!
「ゴールドラムか…へへっおじさん、ちょっと借りるぜ。」
確か、角砂糖とシナモンスティックがこの辺に…あったあった。あとはバターだ。
「ラムはこんなもんでいいか。」
大きめのマグカップに半分ほど、だばっと景気よくラム酒を注ぐ。角砂糖を入れたら、あとはお湯を注いで…バターを浮かせて、シナモンスティックで軽くまぜると、香ばしいにおいが立ち上る。
(注:このレシピには根本的な間違いがあります。どこでしょう。(配点10))

「ほいよ、お待たせ。水と風薬だ。こっちは、晶一様特製の卵酒だぜっ」
「晶一…」
「ま、最初はそのつもりだったんだがあいにくと卵が切れちまったから…ホット・バタード・ラムになっちまったんだ。ゴメン。でも、あったまるぜ。」
薫夜は湯気の立つカップを手にしたまま途方に暮れたような顔で俺を見た。
「あ、やっぱり洋酒より日本酒の方がよかったか?」
いや、そう言う問題でもないだろって誰に言うとんねん、俺っ(芸風がちゃうぞ)
「いただきます。」
「あいかーらず律儀だよな、ひーちゃんは。」
カップに口をつけてから、ちょっと薫夜のやつは咳き込んだ。お湯で割ると、ラム酒ってのはアルコールが吹き上がってけっこうむせやすくなるのだ。
「あ、すまん、ちょっとキツかったか?」
「いや…ありがとう。」
「な、何だよ、改まって。て、照れるじゃねえか。」
ほんと、顔がかーっと熱くなって…。あれ? 何で部屋まで回ってるんだ? 地震か?
っかしいなあ…
(答:正しくはラムの分量は45mlです。入れ過ぎだっつの。)

 それっきり、後は記憶がない。
 ふと目を覚ますと、次の日の朝だった。頭がやたらめったら痛くて、ノドが酷くかわいていた。傍にはなぜか空になった酒の瓶が転がっていて、恐い顔した碧が睨んでいた。
「わかった…わかったからそう怒るなよ、アイタタタタ…」
 洋酒の酔いは酷く残るってぇ聞いてたけど、ありゃあほんとだね。
 何でも碧の奴は、薫夜が電話に出ないので心配して予定を繰り上げて朝イチで帰ってきたんだそうだ。かわいいとこあるよな。でも帰ってきてくれて助かったぜ。碧に発見されるまで、俺達二人とも潰れてた訳だからな。(もっとも薫夜の方は風邪薬との相乗効果で前後不覚に眠りこけていたらしい。)

 その後、俺は夏風邪でぶっ倒れて3日ほど寝込むハメに陥った。お陰で一人で補習の補習を受けるハメになっちまったぜ、とほほ…。一方、薫夜はと言うと。
 一晩、寝たらケロっと治ってちまったらしい。
 ほんと、お前って丈夫だね、ひーちゃん…

おしまい