「おじさんの夏〜或いは少年の受難〜」

時渡 十海           

(1)ある蒸した夜に突然に

「くは〜っ生き返る……」
 思わず声に出してしまってから、真庭爽風はハッと周囲を見回した。
 ビデオを物色する客の目が、一瞬、こちらに集中し、また元にもどる。ガンガンに鳴り響く有線の音楽もものともせずに、どうやら、店中に聞こえてしまったらしい。さほど大声を出したつもりもないのだが、普段から鍛えているだけあって、かなりはっきり響いたようだ。

 七月も終わりに近付き、日ごとに暑くなってきた。陽が落ちてからも、むわっとアスファルトから熱気が立ちのぼり、うだるような空気をさらに蒸しあげる。世間様では今日で学校も終わり、明日からは夏休みが始まる。が、爽風にはあまり関係ない。
 今日も、休みだった。
 そのぶん、明日から泊まり掛けだが。
 とりあえず掃除と洗濯をすませ、ぼーっとしてたらもう、夕方だった。
 せめてこれからでも、趣味と実益を兼ねた有意義な時間をすごそうと、材料を仕入れに行き着けのレンタルビデオ屋まで足を運んだと言う次第。熱気の中をほてほてと歩き、冷房の効いた店の中に入った瞬間、思わず声が出ちゃったのである。
 カウンターのそばを通ると、顔馴染みの店員がにこっとほほ笑みかけてきた。軽く手を振って答え、いつものコーナーに足を運ぶ。
「さぁて、と」
 また、声に出してしまった。近くの客の目が一斉に集まる。どうも最近、何かと口に出す癖がついているようだ。やはり、仕事の影響だろうか。
 気を取り直すと、爽風は棚に手を伸ばし、ざらっとめぼしいビデオをかきあつめた。
 『用心棒』『鬼平犯科帖』『御家人斬九郎』『旗本退屈男』『燃えよ剣』『眠狂四郎』『仮面ライダー』『SFソードキル』etc.etc……
「んなとこかな」
 もはやほとんど無意識でやってるらしい。
 当人はあくまで独り言のつもりなのだが。
 今度は新作コーナーに足を向ける。途中、えっちなビデオのコーナーのそばを通り過ぎるも、横目でちらりと一瞥、そのまま素通り。子供向けのビデオが並ぶ一角にやってきた。
「お、出てる出てる……」
 ジャケットに、花に埋もれるようにして膝をかかえた少年のスチールをあしらったビデオがあった。剣をかまえてポーズを決め、大口開けて絶叫しつつ目一杯、格好をつけた主人公。あるいは無意味に露出の多い肢体を強調した『顔だけは可憐』な美少女たちの居並ぶ中、そのシリーズは控えめであるが故にかえって人目を引いた。(と、言うか、浮いていた)
「やっぱ正解だよな、この写真にして」
 タイトルは『真神英雄伝ワタノレ』。
 ごく普通の小学生が、別世界で救世主になって、仲間といっしょに悪を倒すと言う、定番中の定番、お約束中のお約束なお話である。しかしながら、主人公の年齢が、ターゲットとなる子供たちに近いこと。要所要所でツボを押えつつもシリアス一点張りではなく、お笑いの要素をふんだんに取り入れたこと。くわえて、昔ながらの技と最新技術を駆使した充実したメカニックアクションで、地道ながらも着実に人気を伸ばしている番組だ。
 とかく、コストの悪さが叫ばれる子供向け特撮番組の中で、異色の率の良さを誇る奇跡の番組。が、それが業界でも一、二を争う予算の低さと、それを補うべく、日夜涙ぐましい努力を続けるスタッフと出演者の血と汗と涙の結晶であることを知る者は少ない。
 ビデオジャケットのスチールに、レギュラーメンバーの「普段着」バージョンをあしらう意表をついた作戦も当り、現在、Vol4まで大好評レンタル中。ちなみにVol2は主人公のライバル海比子、Vol3は紅一点の忍者娘ヒシカだった。
(次は俺の番なんだよな。なぁに着せられるんだろ)

 現在の仕事に不満はない。
 多少オーバーアクションになろうとも、何かと口に出す癖がつこうとも。『真神英雄伝ワタノレ』は、彼に初めてのレギュラー出演と、風呂付き1ルームマンションの家賃をもたらしてくれた作品なのだから。
 それでも、たまに不安になる。
 このままで、いいんだろうか、と。このまま、子供相手のヒーロー(と、彼自身は自負している)役で終わってしまうんじゃないかと。
 元々、真庭爽風は時代劇役者を目指していた。斬られ役、一話限りのちょい役なら、それこそ鬼のように演じてきた。殺陣も、アクションもそれなりにこなすし、剣の稽古も欠かさない。その甲斐あって、主人公ワタノレの師匠、「剣師ソラゴト」の役が回ってきたのだが……。
 そのぶん、目指すものからは、遠のいたような気がしてならないのだ。
 とは言え、自分の出ている作品が、かくもずらりと『レンタル中』の札を下げているのを見るのは気分がいいもんである。

(それにしても……何て花の似合うやつなんだ。渉)
 ふと気がつくと、Vol1のビデオが少し傾いていた。爽風は手を伸ばし、直そうとした。
 その時、横合いからもう一本、手が伸びてきてぶつかった。
「おっと」
「あ、こりゃすいません」
 改めて相手を見れば、これが意外なことに、濃紺のスーツを着て、ネクタイをしめたいかにも勤め帰りといった風情のサラリーマン。歳は爽風とそう変わるまい。
「どぞ……」
 男はあわてて手を振った。
「あ、いや、でもそれ、あなたが」
「いえ、俺はずれてるのを直そうとしただけですから」
「それじゃ、ありがたく……」
 眼鏡の奥で、ほっそりした目がにこりと笑う。
(透のマネージャーが、泣いて喜びそうなタイプだなあ)
 なぞといらん事を考えつつ何気なくビデオをとる手を見る。左手の薬指に銀色の指輪が光っていた。
(なんだ、にょーぼ持ちか)
 
「あ、真庭さん」
「よっ。これ、頼むわ」
 どさっとレジに本日の収穫を並べる。
「資料ですか?」
「まーな」
「相変わらず、仕事熱心ですねー」
 その時、隣のレジでもやはりどさっと言う音が聞こえた。見ると、さっきの男だった。
「これ、お願いします」
 全部、ワタノレだった。あまつさえ、本編発売前にリリースされた『メーキング・オブ・ワタノレ』まで入っている!
(よく見つけてきたなあ……)
「『真神英雄伝ワタノレ』1巻から4巻と『メーキング・オブ・ワタノレ』、1泊でよろしいですね」
 はい、と答える声が、ちょっと恥ずかしそうだった。直感で、自分用ではないなと思った。
(子供のため、ってとこかなあ)
 その時、爽風は気付いた。男の上着のボタンが一つ、とれていることに。
 糸の切れ口がよれているところからして、昨日、今日とれたものではなさそうだ。果たして細君がよほどのうっかりものなのか、それとも……
「……庭さん。真庭さん」
「お、おう」
「あの、この『くの一悩殺忍法帖』って……」
「し、資料だ……」
「新作なんで、一泊500円になります」
「あ、三泊でお願いします」
 赤い長じゅばんをはだけた美女の写真をあしらったジャケットを手に、青年はにこやかにほほ笑んだ。
「よっぽどお好きなんですね」
「明日からロケなんだよっっ」
 また、店中の視線が集まった。
 まーいーか。役者は見られてなんぼの商売だ。
 半ば自棄になりつつ、自分に言い聞かせるしかない爽風だった。

「さてと、食いもんも仕入れてくか……あ、ま〜たやっちまったよ」
 ビデオ屋の帰りにコンビニに立ち寄る。
 明日から家を空ける事を考え、材料よりもできあいの物を買う事にした。焼肉弁当には食指が動かず、つい、とろろそばなんぞをチョイスしてしまう。暑さのせいか、それとも、そろそろ体がこの手の油っぽいものを受け付けなくなってきたのか……年齢のせいとは考えたくないもんである。
「あ、旅行の準備もしてこっと」
 今のコンビニってのは何でもそろう。歯ブラシ、タオル、石鹸、そして、ぱんつ。ふと思い付いて、日焼け止め、『叩くとすぐ冷え』パック、バンドエイドもカゴに放り込む。炎天下での野外ロケだ。備えておくに越したことはない。
 そりゃ、スタッフも準備はしているだろう。だが、何かあったとき、あの子らの一番そばにいる大人は自分なのだ。クウマ役の青葉はいいのか、と言う突っ込みは捨て置く。(ほら、トリさんだし。)
 ここまで考えてから爽風はハタと気付いた。
(お、オレってばもしかして、おとーさんの心境になってないかっ)
 この時、彼のココロの耳には一斉につっこむ全国一万人の視聴者の声が聞こえていた。
「その通りやないかいっ」と。
(まだヨメさんですらアテがないと言うのにっ)
 全力で心漫才なぞ繰り広げつつ((C)サーノさま)レジに並ぶ。ひょいと前を見ると、見覚えのある紺色のスーツが目に入った。左手に、ビデオ屋のビニールバッグを抱えている。
(あれ、さっきの)
 しかし、右手に下げたカゴの中味ときたら……
(なんなんだ、このわびしい品揃えは)
 一目見て爽風は絶句した。カンビールに、ミックスフライ弁当。その隣の野菜サンドは明日の朝食だろうか?はっきり言って、自分の買い物のほうがよほど所帯じみている。
(こりゃ、ひょっとしたら単身赴任かも知れないぞ)
「お弁当、あっためますか?」
「はい、お願いします」
 濃紺のスーツの背中を見ながら、爽風は何やらこの男に他人とは思えぬ親近感を覚えていた。
「あ、真庭さんだあ」
 レジの女の子とはすでに顔見知り。いかにコンビニの利用度が高いか、うかがえようと言うもんである。
「だめですよぉ、もっと栄養のあるもの食べなきゃ!」
「はは……暑いとなんか食欲なくってさ」
「撮影中に倒れたりしないでくださいねっ。全国一万人の女子高生ファンが泣きますよ」
「ふっ……心配めされるな、お嬢さん。刀部ソラゴトは不死身だ」
「きゃっ☆」
 我に帰って見回すと、店中の視線が集中していた。
(ああっまたやっちまったっ)
 濃紺スーツの男性も、ドアの所で振り返ってこっちを見ている。
「……あーっワタノレの先生だっ」
「ソラゴトだっ」
 はっと気付いた時、爽風は塾帰りとおぼしき小学生の群れに取り囲まれていた。
「サインしてっ」
「握手っ」
 四方八方から手だのノートが突き出される。
「こらこら。あわてるでない!拙は逃げも隠れもせんでござるよ」
 もみくちゃにされつつも、まあこう言うのも悪くないかな、と思った。
「カバのひとだ〜」
「だ、か、ら……拙はカバではないと言うておろ〜がっっ」
「わーっTVとおんなじ〜」
(やっぱり、ちょっと悲しいかもしれない……)
 爽風の心の内を知ってか知らずか。レジの女の子は、ふにふにしながら、一見微笑ましい光景を見守っていた。
「これがないと、なんっか寂しいんですよね」