(2)夏に迷えば

「いいか、ヨットトというのは、船・海・人の3つが一つになった時はじめて走るんだ」
 ホイッスル片手に、海比子が叫ぶ。
 場所は砂浜、青い海。雲ひとつない空が眩しい。
 救世主ワタノレたちは、アクニンダーに支配されてしまった天界山を元に戻すために旅をしている。ここ、第四天界は海の世界。そこでは、アクニンダーの手下クワヤマが、海辺の村びとたちを苦しめていた。小型舟ヨットト(ウィンドサーフィンに似ている)でのレースに勝てば、海を元通りにすると豪語するクワヤマ
 村びとたちを救うべく、ワタノレたちは、ヨットトレースに挑戦する。で、海辺の出身の海比子に、そろって特訓を受ける、と言う設定なのである。
「そのためには、海の声を聞き、船の声をきき、そして相手に自分の声を届かせなくてはいけない」
 いきなり精神論から入るあたり、何げにノリが体育会系なのだが。
 時刻は日射しの一番きつい午後二時。かっかと照りつける太陽の光で、砂浜は焼そばが作れそうなくらいに、熱い。
「海の声かぁ……」
 爽風は、いや、剣師ソラゴトはじっと耳をすましてから、おもむろに目一杯真面目な声で言った。
「何も聞こえんぞ」
 ヒシカもヨットトに耳をくっつける。
「こそばゆいのだ」
 この、ソラゴトと言うキャラクターは剣の腕は一流なのだが美女にむちゃくちゃ弱く、どちらかと言えばお笑い担当の感が強い。主役はあくまで、子供たちなのだ。
「そこで、海の男たちは力の限り、『ヨットト!!』と叫ぶんだ。どうだ、格好いいだろう」
 さりげなくソラゴト、ヒシカのボケを無視する海比子。
「……カッコいいかどーかは、置いといて、やってみようよ」
「……恥ずかしくないのか」
 ぼそっとつぶやきながら、内心、爽風はギクリとしていた。

『恥ずかしくないのか?』
 それは、ほんの数日前、同じ事務所の仲間から言われた台詞に他ならなかったからだ。
『お前、アクションも芝居もそこそこできるじゃないか。だのに、子供向けの番組でくすぶって……もったいないよ!』
 そう言った彼は、端役ながらもすでに数本のドラマやバラエティでレギュラーをとっていた。
『俺さ、どーも、トレンディドラマってやつぁ性にあわんのよ。それに、最近、思うのよ、第二の本郷猛を目指すのも悪かないかなあって』
 笑って答えたものの、真庭の心中は決して穏やかではなかった。
 ひょっとして、自分は遅れをとっているんじゃなかろうか。気がつけば既に今年で二十八。そろそろ、若手と言う言葉も通用しなくなってきた。
(今どき、トレンディドラマって言葉もいいかげん死語だよなあ……)

「…………やらなくてよかったぜ、ホッ」
 我に帰れば帰ったで、クウマの台詞が追い討ちをかける。(当初は参加する予定だったのだが、トリの着ぐるみを着けたまま舟に乗るのは危険だと言うことでボツになったのだ。)
「これが海のやり方だ! じゃ、今からやってみせるからな」
 言いながら海比子は実際にヨットトを動かす。もちろん、叫びながら。
 ロープを手繰り寄せつつ
「ヨットト!」帆を操りながら「ヨットト!」体を傾けて「ヨットト!」
 一通り見本を示すと、海比子はワタノレたちに向き直った。
「さ。同じようにやってみろ」
 おずおずとワタノレがたずねる。
「叫ばないとだめなのかなぁ……」
「こけそうになって、「おっとっとっ」っていってるようにしか見えねぇ……」
(うん、俺もそう思うよ)
 心の中でクウマに相づちを打ちつつ、爽風はきっぱりと言い切った。
「うーむ、平和のため……男ソラゴト、恥も外聞も捨てるぞ!」
 そして、ざっとヨットトに飛び乗る。
(おわっ結構揺れるぞっ)
 内心かなりびびりつつも、爽風は叫んだ。
「ヨットト!」
 ワタノレ、ヒシカも後に続く。
「よ……ヨットト」
「ワタノレ!もっと腹の底から声を出すんだ!」
「う……ヨットト!!」
「よし、いいぞ!」
「ヲットト! あちしもできたのだ〜」
(よし、これでひとまず安心だ……)
 その時、ぐらっとバランスが崩れた。
「ヨットトっとっっとっと」
 ばしゃん!
 次の瞬間、派手な水しぶきをあげて、ソラゴトはヨットトごとひっくり返っていた。むろん、台本にはない。完璧なアドリブである。いや、どちらかと言うとハプニングか。
「おっさん、腹が出てるぜ!」
 すかさず、海比子の容赦ない突っ込みが入る。アドリブと言うより多分、地だろう。
「う、うるさいっ」
 思わずこっちも素になって言い返す。
「カットォ!はい、そこまで、お疲れさん!」
「ふう……助かった……」
「大丈夫ですかっ」
 ヒシカ役の宏美があわてて手をさしのべる。
「あーOKOK、ノープロブレムだよ。ここ、浅いからな」
 よいしょっと立ち上がる。実際、水は爽風の腰のあたりまでしかなかった。
「真庭ちゃん、大丈夫かい?」
「あ、監督。心配ありません、大丈夫です」
「いや、衣装の方……」
 撮影予算はいつもギリギリ。予備の衣装など、ある訳がない。
「はは……」
「まあ、昼のシーンはこれで終わりだから。あとは夜まで休憩しよう」
「んじゃ、干してきますね、これ」
「助かるよ」
 地元のサーファーよろしく、水をかぶって塩気を落とす。ロケバスの陰で着替えていると、背後からゆら〜っと肩に触れるものがあった。
「おつかれ〜〜〜〜〜」
「うわあっ」
 振り向くと、クウマ役の夏井青葉の顔があった。
「な、なんだ、青葉か……脅かすなよ」
 間近で見た彼の顔はげっそりとやつれていた。無理もない。この炎天下、ずっと鳥の着ぐるみを着ていたのだから。
「な、なんかやつれてないか?」
「うん、ちょっとね」
「ちゃんと飯食ってる?」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
 答ながら青葉は、手にした長ネギをばりばりかじった。むろん、生で、丸かじりだ。
 思わず涙が滲んだのは、決してツンとしたにおいのせいだけじゃない。
「……何か買ってきてやろーか」
「水……」
「水ね、はいはい」

「あ、ちょっと出てきますから」
「はい、行ってらっしゃい」
 スタッフに一声掛けてから、出かけようとしたその時。
「あーっ真庭さん、どこ行くのーっ」
(しまった……)
 子供たちに見つかってしまった。
「いや、ちょっとそこまで、買い物に、ね」
「一人だけずるーい、ボクも一緒に行く」
「あ、俺も付き合う」
 役者とはいえ、彼らも子供である。退屈していたらしい。
「しゃあないなぁ……ちゃんとマネージャーさんに断ってこいよ」
 苦笑しつつ頭をかいたその時、きゅっと後ろからTシャツの裾をつかまれた。
 振り向くと、案の定、ワタノレ役の渉が見上げていた。じーっと、ハムスターのようなつぶらな瞳で。
「……キミも一緒に来るのね」
 こくっとうなずく。
「じゃ、川原さんとこに言いに行こう。いってきますって」
 ふわっと渉は顔をほころばせた。さっきの救世主とは、ほとんど別人である。
 実際、彼の人見知りは並ではない。ビデオジャケットの撮影の時も、『知らない人ばっかり〜』と怯えてものすごく大変だったのである。結局、馴染みのある人なら、と言うことで、番組スチールの担当カメラマンが撮影したのだ。
「川原さ〜ん」
「あ、真庭さん」
「俺、これからコンビニに買い物行くんだけど、渉も連れっていい?」
 ぱたぱたと、背後から宏美と、海比子役の透がかけてくる。
「あいつらも、一緒」
「う〜ん、……透くんがついてるなら、安心でしょう」
「それ、どー言う意味っ」
「だって真庭さん、子供に極甘じゃん」
「うっ」
 否定できず、思わず言葉につまる。
「まあ、それは冗談としても、さ。爽風さんって将来、いいパパになると思うよ」
「俺、まだ独り身なんすけどぉ」
「実際、子供らなついてるし」
「……そりゃどーも」

 海辺を離れて街に通じる道を歩き出す。ふにっと柔らかいものが右手に触れる。渉の手だった。
「……そだね、迷子になるといけないからね」
「あ、ボクも!」
 空いた左手に宏美がぶら下がる。
「お前も混ざるか?」
 肩をすくめて首をふったものの、透はどこかうらやましそうだった。
(いいパパ、かあ……)
 言われて、悪い気はしなかった。
(その前に、ヨメさん見つけなきゃ、なあ)

 三十分後。
「ねえ、真庭さん」
「言うな、透」
 強烈な日射しに照らされて、見えるものはみな、鮮烈な眩しさと、くっきりした影に彩られていた。アスファルトの道路。道ばたのゴミ箱。庭木。背の低い平家の屋根。板塀。電柱にはられた、花火大会のポスター。その合間を縫ってくねくねと、細い道が続いてる。
「ひょっとしてさあ。俺ら……」
「皆まで言うなっ」
「……迷った?」
「宏美ちゃん……」
 しまった、と思ったがもう遅かった。渉の真っ黒な瞳に、みるみる涙が盛り上がる。
「な、なに、心配すなっ。陸よか海のが低いんだ、降りてゆけば海岸につくっ」
「この道、上り坂だぜ」
「ああっ」
 東京から車で二時間。たったそれだけしか離れていないのに、ここはほとんど別世界だ。ほぼ200mごとに見かけるコンビニが、ここではただの一軒も見つからない。
「まあ、高いとこから見下ろせば、おのずと道は開ける。安心せい」
「あ、真庭さん、ソラゴトさんモードに入ってる〜」
「うん、そうだね、先生っ」
 渉が、ぱっと元気よく走り出す。
「僕、先に行って様子見てくるよっ」
 つられて、ワタノレモードに入ったらしい。やれやれ、と爽風は胸をなでおろした。
(ほんと、役に入ると別人なんだよなあ。不思議。まあ、俺も人の事ぁ言えないか)
 ふと見ると、宏美がしゃがみこんでいた。
「ん? どうした、宏美ちゃん」
「ちょっと、頭あつくて」
 えへ、とはにかみながら答える宏美の髪の毛に手を触れる。
「あ〜ほんとだ。帽子かぶってくりゃよかったな」
 爽風は頭から自分のバンダナを外すと、くるくると帽子のように宏美の頭に巻き付けた。
「よし、これでちったあ違うだろ」
「ありがとっ」
 元気が出たのか、宏美も渉を追って走り出す。その後ろ姿を見守りつつ、透がぽつりとつぶやいた。
「……真庭さん」
「言うな、透」
「おとーさんの心境って、こんな感じなんですかねえ……」
「その前にヨメさん見つけないと」
 ちらっと爽風を横目で見てから、透は何も言わずに肩をすくめた。
(こんガキゃあっ)
「真庭さーんっ」
「先生ーっ」
 坂の上で、宏美と渉が手を振っている。
「はやく、はやく」
「こっちこっち!」
 何だか嬉しそうだ。
 言葉なき冷戦をとっとと切り上げると、爽風たちは足を早めた。
 上り坂の最後の数メートルはことのほかきつかった。さすがに息切れしかけた爽風の横を透はけろりとして追いこしてゆく。その瞬間、蝉の声がやけに大きく聞こえたような気がした。
 やっとのことで坂を登りきると、目の前に急に鮮やかな黄色が飛び込んできた。
 ひまわりだ。
 塀の上から、にゅっと大輪のひまわりが、いくつも、いくつも顔をのぞかせている。
「あそこ」
 すっと渉が指差すその先で、塀とひまわりが途切れ、一件の小さな店があった。
 色褪せた赤電話。「たばこ」と書かれたほうろうの看板。
 ちりん、と軒先の風鈴が涼しげな音をたてる。
 その隣で、白地に青い波を染め抜いた、ちいさなのぼりが翻っている。
 真ん中に、赤く一文字、「氷」と、書かれていた。

「すいませ〜ん、氷イチゴ4つ!」