(3) ファースト・コンタクト
ガラスの器にこんもりもられたカキ氷。
じわっと合間から赤いシロップがにじみ出る。
四人はものも言わずに飛びついた。
「ぷはーっ生き返るっ」
「うひゃあ、頭いたーい。キンキンする」
「がっつくからだ……」
「んでも、これがないと氷食ったって気がしないんだよなー」
「真庭さんまで……」
騒いでいるのは主に三人。渉は静かにしゃくしゃくと氷を口にはこんでいる。やがて空の器を抱えると、ふうっと至福のため息をついた。
店の中は暗くて、別にクーラーがきいている訳でもないのにひんやりしていた。壁には、油染みた紙がはってある。メニューの中味は、焼そばや、お好み焼き、かき氷、そしてもんじゃ焼き。よく見ると、店の隅っこには一つだけ、鉄板のついたテーブルがあった。渉ぐらいの子供が座るのに、丁度良い高さだった。
店の中は、半分ほどがテーブルが置かれていて、あとの半分は、玩具や、ガラスケースに詰まったお菓子がぎっしりつまっている。何もかも、珍しいものばかり。渉はうっとりと見回した。
その時。
「?」
棚から下げられたビニール袋の中に、見慣れた写真があった。そろっと手を伸ばすと、渉はそれを引っぱり出してみた。
『真神英雄伝ワタノレ』
中には、いろんな大きさの分厚いカードが詰まっていた。形も四角いの、丸いのと様々だ。表面には、お馴染みのロゴと、自分達の写真、そして主役ロボット……番組の中では真神(ましん)と呼ばれている……の龍壬丸が印刷されていた。
「どうした、渉」
渉は振り向くと、カードの詰まった袋を差し出した。
「あっ。ワタノレじゃん」
「ボクたちも写ってるね〜」
「……これ、なぁに?」
「何って、メンコだよ、メンコ! 知らないのか?」
「……ううん」
「ぜーんぜん」
「まあ、名前だけは」
三人は見事に揃って首を振ったのだった。
「おばちゃーん、メンコひと袋……いや、4袋ください」
「いいか。これを、こうやってだな」
地面に一枚、悪の下っ端戦闘ロボ「クリキントン」のメンコが置かれている。爽風は、自分の操る真神(実際、着ぐるみも自分で着ているのだから、あながち間違ってはいない)剣神丸のメンコを、ぱしっと叩き付けた。
どうやら、古えの記憶は鈍っていなかったようだ。
絶妙の角度で叩き付けられた剣神丸は、ものの見事にクリキントンをひっくり返してしまった。
「わぁ」
「すごいや」
宏美と渉が歓声をあげる。透も目だけはしっかり向けている。
「と、まあ、こんな風にひっくり返したら勝ち」
「へーえ、ポケモンに似てるんですね」
「相手のメンコをゲットできるんだ」
「とられちゃうの?」
「勝負の掟は厳しいのだよ。で、相手の下に入ったら、選手交代、次のやつと代わる、と、こんなとこかな。さ、やってみろ」
最初こそとまどってはいたものの、子供は飲み込みが早かった。
「やったあ、剣神丸、ゲットだぜ!」
そして、もともとメンコは子供の遊びなのだった。
「ああっ堪忍してっ。それは最後の一枚……」
「勝負の掟は厳しいんですよ、真庭さん」
ものの十分もたたずに爽風は、持ち札を全部とられてオケラになっていた。
「はぁ、年はとりたくねーもんだねぇ」
背もたれを抱えて椅子にまたがり、ぼんやりしていると、ふと、入り口の日射しがかげった。
「おろ?」
見ると、男の子が一人、店先に立っていた。年は5つか6つか、そんなとこだろう。地元の子供ではなさそうだ。半ズボンからつきでる足は白く、着ているものも何となくあか抜けている。黒目がちな瞳が、食い入るように爽風の顔を見つめていた。
「おばちゃーん、お客さんだよ〜っ」
店のおばちゃんは、ちょっと耳が遠かった。だ、もんだから、爽風は思わず腹式呼吸全開の、はきはきした、大きな声で呼び掛けた。渉たちは慣れっこだが、(何しろ撮影中は叫ぶ事のほうが多い!)男の子はそうではなかった。
びくっと縮み上がったかと思うと、くるっと後ろを向いて、ぴゅーっと逃げ出したのだ。
「あ……あーあ……まーたやっちまったか」
苦笑しながらふと見ると、男の子の立っていたところに、何か落ちていた。
「こ、これは」
真神のオモチャだった。しかも……
「1/100スケール剣神丸っ」
ひっくり返すと、裏に名前が書いてある。『いちじょう けんた』
爽風は、咄嗟に表に飛び出していた。
ちらりと、板塀の角に消える小さな背中が見えた。
「おーい!君!」
ダッシュで走り出す。
多少の時間差はあるものの、子供の足だ。すぐに追いつけるはず。
一気に角まで突っ走り、曲がったその瞬間。
目の前に、ふわりと青い、水玉模様がひるがえった。
「え?」
同時に、さわやかな、オレンジの香りがひろがる。
「あの……」
目の前に、若い女性が立っていた。白いレースの日傘をさして、袖のない、水玉模様のワンピースを着ている。白い、大きめの襟が眩しい。いささかレトロなデザインだが、よく似合っていた。
「真庭、爽風さん、ですよね?」
半ばぼーっとしながらも、爽風は反射的に
「はい、そうですが」
と答えていた。
彼女の顔に、ぱっと明るい笑みが広がった。まるで向日葵が開いたように、ぱっと。口元から、真っ白な歯がこぼれおちる。
「わあ、ホントにほんものだっ」
なんってまあ、大らかに笑うんだろ、この人は。
爽風は一瞬、見とれた。
「この子が、いきなり走って来て言うんです。ソラゴト先生がいるって。まさかと思ったんですけど……」
その時、はじめて、水玉のスカートの後ろに、さっきの男の子がいるのに気付いた。おずおずとこちらを見上げている。はにかんではいるが、怖がっている訳ではなさそうだ。
(あれ?どっかで見たような子だなあ……)
爽風は一歩前に出ると、手にした剣神丸を差し出した。
「そら、落とし物」
男の子はきゅっとスカートを握ると、小さな声でつぶやいた。
「お母さん」
(お、おかあさん)
その言葉にガッカリしなかったと言えば嘘になる。しかし、この時爽風は、以前、別の声が、似たような状況で、まったく同じ台詞をつぶやいたのを思い出したのだ。
(そっか。こいつ、渉に似てるんだ……)
爽風はよいしょっと体を曲げ、少年と同じ目の高さまでかがみこんだ。
「いかにも拙は刀部ソラゴト。よう見破った。ケンタくんは、よほどワタノレが好きなのでござるな」
こくこくと何度もうなずくと、ケンタは手を伸ばして剣神丸を受け取った。
「ケンタ。ありがとうは?」
「あ、ありがとう」
「実はな。お忍びでワタノレたちも来てるんだ。きっと、お主に会えば喜ぶぞ」
ぱっとケンタの顔が輝いた。
「一緒に来るか?」
「あの、ほんとに、よろしいんですか?」
「もちろん! ちょうど息抜きに連れ出してきたとこなんです。それに、ファンに会えば、あいつらも喜びますよ」
「ありがとうございます! あ、私、一条アオイって言います」
「アオイさん、か。きれいな名前だ」
「あら、お上手。ほんとに、TVと同じなんですね!」
「はは、半分地でやってるよーなもんですから……」
とか何とか言いつつ、店に戻る道すがら、爽風は、ちらっとアオイの左手に視線を走らせた。薬指に、指輪は、ない。いや、最近までつけていたらしい痕跡はあるのだが……
(よっしゃあ、まだ、望みはあるぞ!)
(4) 騒乱
店に入ってゆくと、渉がぱっと顔をあげて嬉しそうにほほ笑んだ……どうやら、爽風がいないのに気付いて探していたらしい。しかし、後に続くアオイの姿を見た瞬間。その笑顔は、怯えた表情に変わり、ささっと透の背後に隠れてしまった。
(ああっ。こいつってば、また人見知りしてるよ)
爽風は半年前のことを思い出した。
配役が決定し、初めて顔を合わせた時。やはり渉はこんな風にして、母親の背後に隠れてしまったのである。
「あー、その、こちらは一条アオイさんと、ケンタくんだ。ワタノレのファンなんだってさ」
「ほんと?嬉しいな」
「光栄です」
ぱっと顔を輝かせる宏美。生意気にも営業用スマイルで応じる透。しかし渉は相変わらず、透の背中でセミ状態。爽風は、ちらりとアオイの顔を見やった。
「あらあら」
小さくつぶやくと、彼女は、ひょいっとやはり同じ様にして自分のスカートにしがみついていたケンタを抱きあげると、すとん、と透たちの目の前に降ろした。
(おわっすごい腕力。あ、あなどれんっ)
それから、おもむろに閉じた日傘を両手で握り、頭上にかかげる。
首をかしげながらも、透と宏美の視線がひきつけられる。そろっと渉も、透の背中から顔をのぞかせた。
「こほん」
軽くせき払いすると、いきなりアオイは叫んだ。
「りゅーうっじんっまるーーっっっ」
……見事な声量だった。
一瞬、子供たちの目が点になる。
しかし、ケンタだけは違った。(さっき、あれほど爽風の声にびびったくせに)ごそごそとポケットから玩具のPHSを取り出すと、ぴっぴっぴっ、と、番号を押して、耳に押し当てた。そして……
「もしもしぃ。ケンちゃん?セツだけどぉ。すぐきてくれる?」
ぷっと、宏美がふきだした。続いて透がくっくっくっと声を殺して笑い出す。
「に、似てるっ。ソラゴトさんに、似てるっ」
「そっくりーっ」
「うん、似てる……」
「わ、渉?」
いつの間にやら、渉まで、話の輪に混ざっていた。相変わらず、控えめな、どこか恥ずかしそうな笑顔だったが……
「ね、ね、あたしのワタノレは? どーだった? 」
「……」
「も、もちろん似てましたよ、うん。……なあ、渉?」
爽風の問いに、渉は困ったような顔をして下を向いてしまった。
「そっか」
アオイは顔を赤らめて、残念そうに髪の毛をかきあげた。
(ったく、この、しょうじきもんが)
まあ、実際、TVのワタノレと、微妙に違っていたことも確かなのだが……。
最初のうちこそ、人見知りしていた渉だったが、そのうち、少しずつ打ち解けて、ケンタといっしょにメンコ遊びの続きを始めた。自分より小さな子供に好かれて、何となく嬉しいらしい。
「ふう、やれやれ、一安心……」
爽風は、ぐいっと拳で額の汗をぬぐった。
「はい」
アオイがハンカチを差し出した。
「あ、ども、すいません」
タオル地のハンカチはワンピースとおそろいの水色で、さらっとして、淡いシャボンの香りがした。
「真庭さんって、ほんと、子供好きなんですね」
「いやあ、そんな。同じレベルでじゃれあってるだけですよ。撮影ん時なんか、いっつも弁当奪いあったりして、すごいんだ」
「わぁ、TVとおんなじ」
「って〜か、ほとんど地なんすよ。も、しまいにゃ『弁当は一人ひとっつまで』なんてスタジオにはり紙されちゃって」
照れ隠しに、たっはっは、と力無く笑ってから、ふっと爽風は真面目な顔にもどり、しみじみした口調で続けた。
「まだ、あいつらと付き合ってからたかだか半年しか経ってないけど……撮影のたんびに、いつも驚かされる。ぼろぼろ古い皮脱ぎ捨てて、毎日ちょっとずつ変わってくんです。渉も、宏美ちゃんも。」
言いながら、いつしか爽風は目をほそめて子供達を見つめていた。
「透の奴なんかもーすっかり生意気になって、どうにかすると、こっちのが手玉にとられちまう。で、負けじとムキになっちまうんですよね。大人げねーよなーまったくっ」
「いいなあ」
「……えっ?」
ほおづえをついて、ケンタを見守るアオイの横顔には、先刻とうって変わって何とも切なげな表情が浮かんでいた。
「家の旦那に、爪のアカ煎じて飲ませたい。あの人、いっつも仕事ばっかりで……あたしや、ケンタのことは、後回し」
爽風は、年甲斐もなく胸がどきっとした。
「あんまり腹立ったから、実家に戻ってきちゃいました」
アオイはちょろっと舌を出して小さく笑った。
「あたし、ね。ひょっとしたら、バツイチになっちゃうかも知れないんです」
言いながら、左の薬指をそっとなでる。
(あ、くそ、静まれ。静まれっつーに、俺の心臓っ)
顔が赤いの暑さのせいだ。と、必死で自分に言い聞かせる。
「そうしたら、また、真田アオイに戻るんだなあ……」
「じゃ、俺の名前と一字違いですね」
「真庭と、真田……あら、ほんとだ」
アオイはころころっと、鈴のような声をあげて楽しげに笑った。ささいなことだった。けれど、その笑顔を引き出せたことが、爽風は何よりうれしかった。
「真庭アオイ、かあ。何だか別人みたいですね」
その瞬間。
彼は(通算二十と三回目の)初恋に落ちたのだった。