(5) 真夏の夜の変

「ナギハマ海岸なら、坂道を下りて、右に曲がればすぐですよ」
 地元の出身だけあって、アオイの言葉は確かだった。
 来る時、あんなに迷ったのに、帰りはさくっと、ロケ現場についてしまった。
 もっとも、その間、一行を先導したのは爽風ではなく透だったのだが。
「おかえりぃ〜……」
 無事、ロケバスに帰り着くと、おでこに熱さまシートをはり付け、こめかみを押さえる青葉の姿があった。
「遅かったね」
 透が答える。
「途中で道に迷っちゃって。その他にも、まあ、いろいろ……」
「そうか、大変だったんだなあ」
「青葉さんこそ、どうしたんですか?何だか真っ青ですよ?」
「うん、生ネギ丸かじりしたら、ツーンとして、頭痛くなっちゃって」
 透と宏美は思わず顔をみあわせた。
「そりゃあ……」
「痛くもなるよな……」
 こくっと、渉もうなずく。
「あ、これ、頼まれてた水です」
「ありがと〜」
 差し出された2リットル入りペットボトルを受け取ると、青葉はその場で蓋をあけ、ごくごくと飲み出した。
「よっぽど……」
「のどかわいてたんだね」
「ってーか素直に待ってたんだな」
 一気に半分ほど飲み干してから、青葉はぽつり、と悲しげにつぶやいた。
「ぬるい……」
 その間、爽風はどうしていたかと言うと。ぽ〜っとしたまま、あらぬ方角を見つめていたのであった。口元に、なんとも幸せそうな……有り体に言ってしまえば、しまりのないホホエミを浮かべて。

「真庭さんっ真庭さんってばっ」
 その状態は、夜になっても相変わらず続いていたりするのだった。
「おっさんっ!」
 当然、撮影が再開されてからも。
「先生っ出番だよっ」
 ヒシカがつつこうと、海比子が小突こうと、ワタノレが呼ぼうと聞きっこなし。心ここにあらじ、もはや筋金入りのチャネリング状態。
「真庭ぁっ」
「あ、はい、はい、すんません、今行きますっ」
 さしもの温厚な監督が、珍しく大声だしたところでやっと気付くと言うていたらく。
「まったくダンナときたら帰ってからずーっとあの調子だぜ。一体、何があったんてんだ?」
 と、着ぐるみを着たほうが(暑いはずなんだが)元気な青葉。ため息混じりで透が答える。
「聞くまでも、ないと思うけどな……」
「ってぇとやっぱり」
 ぴっと透は小指を立てた。
「そうか……やっぱりなあ」
「しかも、人妻」
「わお」
「んでもって、子持ち」
「そりゃすげえ……けどなあ」
「うん?」
「あのダンナが、その程度でめげると思うか?」
 透は、爽風を見て、青葉を見て、それから、もう一度爽風を見てから、肩をすくめた。
「……だろうなあ……」

 その夜。
 出だしこそ遅かったが、真庭爽風の演技は、いつもにも増して真に迫っていた、とスタッフ全員、意見が一致した。
「これ、逃げずともよいでわないか」
 にまあ〜っと寝たままにやけるソラゴト。寝ぼけて夢の中の美女と間違えて、隣のワタノレの手を握る。
「うう〜ん、うう〜ん……」
 うなされるワタノレ。
 その上に、寝返り、と言うにはあまりに派手なアクションでヒシカが、どさりとダイビング。
「むぎゅっ」
「はい、カット!お疲れさん」
「くはっ、一瞬息が止まったぜ」
「ご、ごめんなさい、大丈夫ですか?」
「ふ、おいちゃんは不死身だっ」
 強がる真庭。しかし、実はヒシカの一撃でやっと正気に戻った彼だった。
「よ〜し、続いて海比子とクウマのシーンだ」
 先刻はお笑い、すなわちギャグのパートだが、今度はシリアスなシーンだ。しかも、スケジュールが押しているので、おのずとスタッフの間に緊張が走る。
 夜の海辺に、一人たたずむ海比子。
 そこにクウマが現れ、声をかけようとする……
 その瞬間。
 ブワン、ブワン、ワンワワン、ブワワワンっっ。
 パラリラリラリラリラリラっ
「な、何だあ?」
 耳をつんざく爆音とともに、海岸沿いの道路にバイクの群れが現れた。あるものはエンジン音で三々七拍子をがなり、あるものは器用にゴッドファーザーのテーマを鳴らし。必要以上にド派手なヘッドライトをきらめかせ、御丁寧に旗まで振っている。もちろん、ノーヘルだ。
「うっわ〜。ヤンキィの集団だ」
「夏ですからねえ。この辺、多いみたいだし」
「くそ〜っ撮影の邪魔だっっ」
「ピアノ線でも張ったろか……」
 ひとしきり暴走バイクの集団が通り過ぎてから。
「おろ?渉のやつ、どこいった?」
 ふと気付くと、渉がいなかった。
 夜の海だ。知らない街だ。
 ただちに撮影は中断され、スタッフも出演者も総出で探す。
「ど、どうしよう、真庭さんっ」
 宏美が声を震わせる。
「隣にいたのに……ボク、隣にいたのにっ」
「気にするなって」
 ふわっと手をのばすと、爽風はぽんぽん、と軽く宏美の肩を叩いた。
「お前のせいじゃないよ。悪いのは、あの、やんきぃどもだ」
「うん……」
「それに、渉の事だからな。知らないとこに行くような真似はしないだろ。だとすると」
 爽風と宏美は駐車場に向かった。目をこらすと、ロケバスの中でかすかに、何かが動くのが見えた。
「……やっぱりな」 
 バスの中に乗り込むと、案の定、人の気配がした。
「いるのか?」
 声をかけると、座席の間からひょこっと顔を出した。
「渉」
 名前を呼ぶと、飛びついて、ぎゅっとしがみついてきた。押し付けられた小さな体を通じて、心臓がどきどきしているのが伝わってくる。そのくせ、手をにぎると、驚くほどひんやりして、じっとりと汗ばんでいた。
「もう、大丈夫……大丈夫だ」
 抱き締めた渉の背中をなでながら、爽風は、胸の中がじんわり暖かいような、せつないような気持ちになるのを感じていた。同時に、無分別な輩への怒りがふつふつと沸き起こる。
「ったく。あのやんきぃどもめ。こんど会ったら、ばつの字斬りだっ」

(6)まさかのランチ

 剣を高々とかざしたワタノレが、叫ぶ。
「りゅーじんまるーっ」
 真夏の日射しに、剣がまばゆく光る。戦闘前の山場、主役メカ『龍壬丸』の召喚シーンである。
(ほ〜んと、役に入っちまうと別人なのなあ)
 爽風は思った。次のシーンに備えて、剣神丸の着ぐるみを着けながら。当然ながら、ものすご〜く、暑い。少しでも着用者の負担を減らすため、撮影の直前まで、頭のパーツはつけない。
「はい、カット!」
 実際に屋外で撮影するのはここまで。あとは特撮を差し換えるのだ。渉の体から見る見る力が抜ける。その途端、あふっと、小さなあくびがもれた。
(大丈夫かな〜。割と感じやすい子だからなあ。あのあと、ちゃんと眠れたんだろうか)
 よく見ると、目が少し赤かった。
 一瞬、悪夢におびえ、布団の中で声を殺して泣く姿が目に浮かぶ。
(……フビンな奴)
「ふああ……」
 改めてヤンキィへの怒りに燃える爽風の背後で、誰かが派手に大あくびをした。
 ずりっと爽風の肩が落ちる。
「やっぱ、うつるんですかねえ、あくびって」
 振り向くと、しれっとした顔で透が、海比子の真神、牙鬼丸の着ぐるみをつけていた。
「うわ、暑っち〜っ。ほとんどサウナですよ、これっ」
(? 気のせいかな? こいつも寝不足のよーだが……)
「俺、今回の撮影で2キロ痩せたよ」
「え。真庭さんも?俺なんか4キロ痩せちゃったよ」
 と、隣でこれは空壬丸の着ぐるみに着替え中の青葉。
「って青葉さんっ」
「お前がそれ以上痩せてどうすんだっ」
「へーきへーき、ちゃんと水飲んでるから」
「次、真神の戦闘シーン行きま〜す。空壬丸と、牙鬼丸は、スタンバイしてくださいっ」
 二人はよいしょっと頭のパーツを被って砂浜に歩き出した。こころなしか、空壬丸の足取りが、ふらふらして頼り無い。
「そのうち消失するぞ、あいつは……」
「あの、真庭さん」
「はい?」
 ふわりと、オレンジの香りがした。
 柑橘系のコロンだと気付く前に名前を呼んでいた。
「アオイさん!」
「昨日、こちらだとうかがってたから……ずうずうしく押し掛けちゃいました」
 ちいさく舌を出すと、アオイは小悪魔めいた笑いを浮かべた。
「とんでもない!嬉しいですよ!」
 また会えて、と言う言葉をかろうじて飲み込む。
「ケンタくんは?」
「今はお昼寝の時間なんです」
「そ〜いや世間様ではそんな時間ですねえ……」
「お昼、まだ召し上がってないですよね?」
「え?あ、はい。まだです」
 屋外撮影は時間との勝負。真夏の、真昼の日射しを逃さないため、現在、スタッフ・出演者ともども昼飯抜きで撮影続行中なのである。
「よかったあ」
 アオイは手にしたバスケットの中から、ぱんだの巾着袋に入った包みを差し出した。
「あの、よろしかったら、これ、食べてください」
「え、え、えっ」
「いつも、お弁当のとりあいになるって、言ってたから……」
 はたと気付くと、両手でしっかと受け取っていた。
「喜んでいただきますっ」
「ほんとに?うわあ、よかったあ」
 ぱっと、大輪のひまわりが咲いたようだった。
「いつもの癖で、子供用みたいなの、作っちゃて……タコさんウィンナーとか、ぱんだのカマボコとか。も、はずかしくて、どうしようかと迷いながら持ってきたんです。さっきまで、心臓ばっくんばっくん言っちゃって」
 爽風の心臓は、いま、正にその状態だった。
「お〜い、剣神丸〜。出番だよ〜」
 無情の汽笛、いやさ、監督の声が響く。
「あ、ごめんなさい、お仕事中に。それじゃ」
「あ、あの、アオイさん、よろしかったらっ」
 その時、彼はわけのわからん衝動に突き動かされていた。(ソラゴトのやつが背中でも押したのかも知れない)アオイを追って一歩踏み出すなり、こう、言っていたのだ。
「今夜の花火大会、一緒に行きませんかっ」
 水色のサマーサンダルが、動きを止める。
「その……弁当のお礼っつったら何ですけど」
(ああ、くそ、俺ってば何言ってんだかっ)
 怖くて顔が見られない。ほっそりした彼女の足首と、ヒマワリのサンダルばかりが目に入る。
「ケンタくんも連れて……」
「はい、よろこんで」
 ばっと顔をあげる。かすかに頬をあからめながら、アオイがじっと見つめていた。
「じゃ、夕方5時に、あの駄菓子屋んとこで」
 こくん、とアオイがうなずいた。
「剣神丸ーっ」
 剣ならぬメガホンを掲げて監督が叫ぶ。
「楽しみにしてます……あの、お仕事、がんばってくださいね」
「お〜い、剣ちゃ〜んっ」
「今ゆきますっっっ」
 がばっと頭のパーツを被ると、爽風は砂浜にダッシュした。

「うっわ〜。スキップしてきたよ」
「器用だね……着ぐるみ着たままで」
「大丈夫かなあ……」
「視界狭いから、危ないんだよね」
「あっ。転んだ」
 砂浜で転ぼうが、海に落とされようが、今の真庭爽風は無敵だった。
『楽しみにしてます……』
 脳裏に彼女の笑顔がくっきりと焼き付いていたのだから。
『お仕事、がんばってくださいね』
 
「はい、カットぉ!おつかれさま!」
「おつかれさまです〜」
 着ぐるみ陣はのそのそと海から這い上がり、水を吸って重たくなった『皮』から脱皮して、深く深呼吸した。
「ふやけた…」
 爽風は頭に巻いたバンダナをはずすと、ごしごしと顔と首筋をぬぐった。いったい、今回だけで何度海に落とされたことやら。
「着ぐるみで水アクションは疲れる……」
「ビール太りでもアクションはこたえるでしょうしねえー」
 またしても、透である。
「そうそうビール太りでも……だから拙はカバではな〜いっっっっ」
「……役に入ってるのか、地なのか……」
 もはや、どちらが本性なのか自分でもわからなくなってきた爽風であった。(決して、『太陽が眩しかった』せいばかりではあるまい)
「……ヒシカでお腹空いたって連呼してたら、僕も空いちゃった……」
 いそいそと宏美が昼食の弁当をあける。
「あれ? なんで宏美ちゃんのだけヨーグルトついてんの?」
「……え? 皆のには入ってないの?」
 度重なる弁当争奪戦の結果、最近はみな、それぞれ前もって別の場所に弁当をキープすると言う手段に出た。
「うん、ないよ。…その代わり、とんかつとエビフライが入ってるけど」
「……僕、そっちの方がいいなぁ」
 その為、表面上の争いは静まったかに見えた。もっとも、相変わらず水面下では熾烈な争いが繰り広げられているのだが。
「……ボクのお弁当は……」
 しかし、相変わらず渉だけはランチタイムになってから取りに行く。
「今日はあった、よかった……」
 一つだけ残ったロケ弁当を抱えると、渉はしみじみと目をとじて、ほっとため息をついた。
「まったく素直と言うべきか、進歩がないと言うべきか……」
 ぶつぶつ言いながら、爽風はぱんだの巾着を開けた。中には二段重ねの弁当箱が入っていた。巾着とそろいの、ぱんだの絵がついている。蓋をあけると……
(おお、カラフル)
 なるほど、確かに子供向けだった。きっといつもは、ケンタの幼稚園のお弁当の定番メニュウなのだろう。卵焼き、トリの空揚げ、赤いタコさんウィンナー、うさぎリンゴ。ご飯には、ノリとごま塩で、パンダの顔が描いてあると言う芸の細かさ。
「……作ったの? それ」
 青葉がのぞきこむ。
「タコさんウィンナたびる?」
 しばらく考えこんでから、青葉はこくっとうなずくと、おもむろにタコさんウィンナを箸でつまんだ。
「独り身の哀愁だねえ……」
 ぼそっと透がつぶやいた。
「え、え、女の人からの差し入れとか…」
「相手見てものいいなよ、宏美ちゃん」
「え、え、え……」
 宏美は困ったような顔をして、透と、爽風(の弁当)をかわるがわる見つめた。
 ひくっと爽風のこめかみに血管が浮かぶ。
「ふ、ふふ……俺ぁ今日はお笑い担当でちぃ〜と血に飢えてんだ……」
 ことり、と弁当を置くと、爽風は傍らの模擬刀を手にとるや、抜く手も見せずに切り掛かる。
「ちぇすとおっ時代劇の切られ役で鍛えた剣の腕を見よっ」
 本日の流派は示源流、どうやら勤王派の志士でもやったらしい。(新撰組に斬られる役な)
「わっ 飯くってる時に暴れんなって」
 弁当をかかえ、箸をくわえたまま、器用に避ける透。もとより当てるつもりはなかったが、かわされて目測が狂う。
「あっ」
 勢いあまった爽風の一撃は、ぱこっとそばを通りかかった渉を直撃してしまった。撮影用の小道具とはいえ、当るとけっこう(かなり)痛い。みるみる、渉の目に涙が盛り上がる。
「あーーー泣かせたーーいい大人がーー」
 すかさず透がはやしたてる。
「渉くんっ」
 ハンカチを片手に宏美が渉を抱きかかえ、きっと爽風をにらみ付けた。
「す、すまんっ 御主に当てるつもりはっ」
 落ちそうになった弁当を青葉がささっ受けとめて、無言で返す。
「ありがとう……」
 渉はまだうるんだ瞳で、しかしにっこりとほほ笑んだ。
「かくなる上は…」
 はらりと服をはだけて切腹の構えをとる爽風。
「切ってもビールしかでないぜ、きっと」
 今日はいちだんと、突っ込みが鋭い透くんであった。