(7)今夜花火の見える海で

 日が傾く頃、撮影がようやく終わった。水びたし、塩まみれになった出演者一行は、旅館の風呂で汗を流してさっぱりした夏服に着替えた。もっとも、爽風は相変わらず魂浮遊状態で、脱衣所に忘れ物をしても気付かなかったと言うていたらく。
「んじゃ、ちょっと出かけてくるわ」
 表面上は平成、もとい、平静を装っていたが。
「やっぱり……」
「ヘンだよな」
 誰の目から見ても、舞い上がってる事は明白だった。
「?」
 渉だけは相変わらず、首をかしげていたが。

 昨日、真夏の太陽にあぶられて、へきえきしながら登った坂道を、今夜は足取りも軽く登ってゆく。相変わらず足元のアスファルトからはむわっとした熱気が立ちのぼり、空気を蒸しあげるが、気にならならかった。ハートの方が何倍も熱かったからだ(うっわ〜……)。と、言うか脳味噌ゆで上がっていたと言うべきか。

 そう、確かに爽風は舞い上がっていた。
 普段なら何をおいても予測しえたであろう子供らの行動に、この時彼はまっっったく気付いていなかったのだから。

「ソラゴトせんせーっ」
 ケンタが手をふった。夕陽の名残りの照り返しに、子供用の浴衣が赤々と染まる。
 爽風は、よっと片手をあげて応えた。
「あ、真庭さん」
 アオイは、袖のない白いブラウスと、さらさらした濃紺のフレアスカートを着ていた。胸元に、ちっちゃな向日葵のブローチが咲いている。
「ごめんなさい、こんな格好で。浴衣、もってきてなくて……」
「いや、そんな、とんでもないっ」
 剥き出しになった肩に、ぽつりとひとつ、ほくろがあった。針でついたような黒が、かえって肌の白さとなめらかさを引き立てる。
「すっごく、似合ってます」
「う〜ん、ほんとかなあ」
 アオイは首をかしげて、爽風の顔を見上げた。
「ソラゴト先生の言うことだからなあ」
「拙は嘘はつかぬでござるよ。とくに、婦女子の前では」
(じゃあその、ハッタリ=81だの嘘=68は何なんだ)
「じゃ、行きましょうか」
「はい」
 気がつくと、爽風はごく自然な動作でケンタの手を引いて歩き出していた。

「ったく。どーしてあそこで、彼女の手、とらないかねえ」
 塀の陰でぼそりと突っ込んだのは言わずとしれた透。
「多分、習慣だと思うなあ」
「そーいやいつも、渉と宏美ちゃんがぶらさがってるからなあ」
 こくっと渉がうなずく。
「それに、ほら、見てよ」
「ん?」
「真庭さん、ちゃんと、ケンタくんのペースにあわせて歩いてる」
「しかも、車道側歩いてるし……」
「ほとんど無意識のうちにやってるよね、あれ」
 げに、習慣とは恐ろしい。
 
 黒い板塀が続いている。
 刻々と濃くなってゆく夕闇と色褪せた夕陽が染み込んで、黄色い向日葵が少しずつ、うっすら青く霞んでゆく。
 カナカナと、どこかでひぐらしが鳴いていた。
「俺、この鳴き声、なんっか苦手なんですよねえ」
「あらら、どうして?」
「なんだか、一日がこれで終わっちまうんだな〜って思うと……妙に物悲しい気分になるんです。変ですよね。大人になって、夕暮れから眠るまでの時間が、子供の時とは比べ物になんないほど、長くなってるってのに」
 ひと息に言ってしまってから、爽風はしまった、と思った。
(いきなり何べらべらしゃべってんだ、俺はっ)
「あたしは……」
「はい?」
「ああ、夏休みが、終わっちゃうなあって、思います」
 ぽかん、と口をあけたまま、爽風はアオイの顔を見つめた。
「やっぱり、何っかさみしくなっちゃいますよね、あの声。同じセミでも、昼間鳴くセミは、夏まっさかりって感じなのに」
(いかん……また心臓が……)
「どうか、しましたか?顔が赤いけど」
「い、いやあ、ちょっと湯当たりで」
 下手な言い訳をこじつけた、その時だ。
「きゃっ」
 気紛れな夕風が、ふわりとアオイのスカートを舞い上がらせた。
 ひるがえる紺碧の布地の合間に、白いふくらはがきがのぞく。アオイはすっと片手を伸ばし、スカートを押さえた。その何気ない仕種に、爽風はずきゅん、と心臓を撃ち抜かれた心持ちがした。
(いかんな、これは……)
 かすかに海のにおいを含んだ風は、同時に、嗅ぎ覚えのあるにおいをも運んできた。
(ん?)
 甘美な疼きの余韻を押えつつ、爽風は二、三歩進んでからいきなりばっと振り返った。
「……そこ!」
 ささっと小さな人影が三つ、板塀の陰に転がり込む。
「……渉!宏美!それから透」
 おずおずと顔を出す三人。
「説明してもらおうか……なあぜえいるう?」
 かすかにひきつった笑いを浮かべたまま、爽風は腕組みして三人を見下ろした。
「ほらぁ、だからやめようって言ったのにっ」
「っかしいなあ……真庭さん、舞い上がってっから、ぜったい気付かないと思ったんだけどなあ」
「ええい、お主ら、人の話を聞けいっっ」
 このやりとりの間中、アオイとケンタは……
「わ、わ、生ワタノレだあ」
「TVと同じだね、お母さんっ」
 わくわくしながらしっかり鑑賞していたりするのだった。
「でも、どうして判っちゃったの?僕たち、足音たてないように、ずっと気を付けてたのに」
 宏美が首をかしげる。
「確かにな。音は見事に消してたよ。だけどな、消せないものも、あるんだぜ」
「そ、それは一体っ」
「アオイさん……」
 軽く握った両手を顎の所にあてて、目をきらきらさせるアオイ。ヒシカお得意の『わくわく』のポーズだった。そして、このポーズとまなざしに、真庭爽風は滅法弱かった。(もはやほとんど条件反射である)
「教えてよ、ソラゴトせんせいっ」
「ケンタくんまで……」(ってーか普通は逆だろ)
「あー、その、つまりだな」
「うん、うん」
「さっき、お前らの方から風が吹いたとき、な」
「うん、うん」
「においが、したんだよ」
「何の?」
「ちゃんとデオドランドスプレーしてきたんですけどねえ」
 こほん、と軽くせき払いすると、爽風はおもむろにびしっと人さし指を渉につきつけた。
 きょん、とした顔で渉は自分を指差し、爽風を見上げた。
「汗疹止めの、ベビーローションのにおい!」
「あっ」
「でも、でも、あれ無香料だったはずじゃ?」
「本来、ベビーローションの香料ってのは、独特のニオイを消すために入れてるからな。かえって、無香料のほうが、匂うんだよ」
「すっごーい。さすがソラゴトさんっ」
「ふっそれほどの事でも……」
 ぱちぱちと拍手をするアオイとケンタ。つられて叩く渉と宏美。
「ぱんつは忘れるくせにねえ……」
 ぼそりと冷静な口調で突っ込む透。
「しーっしーっ。せっかくいいとこなんだからっ邪魔しないでちょうだいっ」
「んで。どーします?」
「……川原さんたちには、ちゃんと断わってきたんだろうな?」
「もっちろん!」
「ちゃ〜んと言いました。『真庭さんと花火行ってくる』って」
「はぁ……抜け目のないヤツ……」
 ちらっと爽風はアオイを振り返った。
「あら、あたしはかまいませんよ」
 あっけらかんとした物言いが、うれしくもあり、同時にちょっぴり悔しくもあった。
「いっぱいいた方が楽しいし」
「だ、そうだ」
「よかったあっ」
 宏美がほっと胸をなでおろす。
「帰れって言われたらどうしようって、ボク、どきどきしちゃった」
「言う訳ないだろ、このおっさんが」
「……君ひとりだけ、今から帰るか、透クン?」
 ささっと渉が透の手をとり、じーっと爽風の顔を見上げ、いやいやとかぶりを振った。
「……じょーだんだよ、じょーだんっ。さて。そうと決まったら、出発だ。行くぞ!」
 ほとんどカラ元気に近い声を張り上げると、爽風は歩き出した。その背中に、透はこっそり、ちっちゃく舌を出した。
「甘いぜ、おっさん」

 なんか、いきなり10年ぐらいタイムスリップしちまった気分だな。

 夜店の立ち並ぶ参道に足を踏み入れた瞬間、爽風は思った。
 ぼうっと霞む裸電球、あるいはオレンジ色の電気仕掛けの提灯の、もやもやして、そのくせ妙にまぶしい灯りに照らされた光景は、確かに、どこか現実離れしていた。
 青く霞む薄やみから、時折、くっきり切り取ったように浮かび上がる祭りの定番。お面、わたあめ、リンゴあめ、ヨーヨー吊り、当て物(滅多に特賞が出ることはない)ぶうん、とかすかなモーターの音。ぱちぱち弾ける誘蛾灯のスパーク。砂糖のこげるにおい、ソースの香り、かき氷のシロップのにおい、イカの焼ける何ともうっとりした香り。もろもろのにおいが溶け込んだ空気を呼吸していると、子供の頃の記憶が次々と蘇ってくる。さながら走馬灯のように。
「あっ龍壬丸だっ」
「牙鬼丸、剣神丸、空壬丸もある」
「ワタノレのわたあめまで……」
 とは言え、当て物の賞品がゲーム機になったり、わたあめの袋やお面のキャラクターが流行りのTV番組のものになったり。よく見ると少しずつ、時代の変化は現れているのだ。
 なぞと感慨にふけっていると、きゅっと服の裾をひっぱられた。
「……どうした、わた……あんだ、お前か」
「おっさん、あれ、あれ」
 素直に透の指差す方角を見ると、目をかがやかせて、うっとりと綿菓子を見つめる渉の姿があった。
「渉?」
 渉は爽風の顔をじっと見つめてから、そっと手をあげて、たれぱんだの袋に入ったうすいピンクの綿菓子を指差した。これだけ知らない人が山のようにいる中では、驚異的な意思表示であった。
(かなわんなあ……)
「おし、好きなの選んでいいぞ」
「すいません、わたあめ4っつ」
 待ち構えていたかのように、さりげない口調で注文する透。
(かなわんなあ……)
 苦笑しつつ素直に財布を出すあたり、我ながら終わってるような気がしないでもない。
 また、きゅっと服の裾をひっぱられた。
「今度は何だ、透っ」
「真庭さん」
「あ、アオイさん……」
「いいんですか?ケンタまで御馳走になっちゃって……」
「あ、あ、もちろんですっ一向に構わないんですっ」
 ケンタがのびあがって、ワタノレの袋を指差した。
「でも……わたあめって、けっこう高いし」
(さすが主婦、さすが母)
「気にせんでください」
 ワタノレの袋は、少し高い位置に下がっていた。透がひょいと手を伸ばし
「ほらよ」
 とケンタに手渡した。
「子供ってのは、一緒に買ってもらう事そのものが、結構うれしいもんだから」
 ぱっとケンタの顔が輝く。
「ありがとうっ海比子にーちゃんっ」
 その瞬間、透の顔がかすかに赤くなるのを爽風は見逃さなかった。
(……照れてる?)
「いや、その、べつに……お、落とすなよ」
「うんっ」
(あ、やっぱ照れてるよ、あいつ)
「ほんとだ……」
 ため息まじりにアオイが呟いた。
「ケンタのあんな顔見たの、久しぶり……」
「アオイさん?」
「あの子、こんな風に遊んでもらったこと、ないから……。近所には同じ年頃の子供、ほとんどいないんです。だからこそ、余計にあの人に、側にいて欲しい……」
 アオイはうつむいた。わずかに言葉が途切れる。
「いてほしかったのに、なあ……」
 頬の辺りで、ちかっと何かが光った。それが何なのか気付く前に、爽風は人さし指で受け止め、そっとぬぐっていた。
 アオイが顔をあげる。うるんだ瞳に、オレンジ色の灯火が揺れる。
(うわ……駄目だ、俺、もう……)
 爽風が口を開きかけた瞬間。
「せんせ〜っりゅーじんまるっ」
 元気のよいお声が割り込んだ。
「わ、わたる?」
「りゅーじんまるの、お面があるっ」
 アオイと爽風は顔を見合わせ、どちらからともなく、くすっと笑った。
「わかったわかった、今行くでござるよ」
 お面の並ぶ屋台に向かう道すがら、ごく自然に二人の手は結ばれていた。

 その後、お面、風船、と言う具合に子供たちの装備アイテムは徐々に増え、爽風の財布は軽くなっていった。そして、ヨーヨー吊りでは……。
 ぷちっとコヨリが切れ、ピンクの風船がぱちゃりと落ちる。
「っかしいなあ。どうしてここで切れるかなあ? ……すいません、もう一回」
 新たなコヨリでチャレンジしようとした矢先に、透がぽそりとささやいた。
「人徳ですよ、じ、ん、と、く」
「あんだと?」
「あ、真庭さんっ」
「あっ……」
「切れた」
「……もう一回!」
 無意味にエキサイトする爽風の横で、透が涼しい顔で大漁旗を振っていた。
「どうだ、一個とったぞ!」
「ヨーヨー一個に随分高くつきましたね」
「ほっとけ」
「確かUFOキャッチャーでも似たよーなことが……」
「うっ」
(こいつ、俺に何か恨みでもあるのかっ)
「ぷっ」
 恐る恐る隣を見る。
 アオイが肩を震わせて笑っていた。さっきとは、うって変わって楽しげな、屈託のない表情で。
(……いいぢゃん)
 爽風は思った。
(この顔、見るためなら、恥ずかしい過去の一つや二つっ)
「さ〜て、次は金魚すくいでもやるかっ」
「ナマモノは持ち帰れませんよ?」
「それもそうだな……んじゃ、カメでも吊るか」
「同じだ、同じっ」
「なあ、どっちがいい、渉?」
 答えはなかった。
「渉っ?」
 はっと振り向く。
 いない!
「あ、あれ?渉くん?」
「どこ行ったんだ、あいつ!」
「……ひょっとして。誰も、手〜、つないでなかった?」
 透の両手は大量のヨーヨーで塞がっていた。宏美はケンタの手を引いていた。
 そして爽風の手は……
「まさか……迷子ってやつですか、これ」
「めずらしく、はしゃいでたし」
「その割には静かだったような」
「いや、あいつの場合は『あれ』ではしゃいでるんです」
「控えめなんですね……」
 人間、焦っている時ほどかえってボケ突っ込みが冴えるから不思議だ。
「さ、探さなきゃっ」
「そうだな、手分けして探すぞ」
「あたし、海ぞいのほう見てきます!」
「お願いします。俺たちは参道を」
 爽風は腕時計を見た。
「30分後に神社の鳥居んとこで落ち合いましょう」
「はい!」

「まいったな〜」
 お面と風船、目立つ目印があるぶん、すぐに見つかると踏んだのだが。
「まさか龍壬丸のお面つけた子、こんなにいるとは思わんかった……」
「ワタノレの風船もね〜」
「意外と人気あんだなあ、ワタノレ」
「出演者がそれ言いますか……」
「ある意味、そこら中に当人の顔写真がぶら下がっているのに御本尊が見つからないってのも妙な話だよな」
「TVと同じ格好してる訳じゃないもん」
「はは、確かに……」
「龍壬丸も呼べないし」
「こんなことならPHSでも持たせてときゃよかったなあ」
 爽風はもう一度、参道をゆきかう人を見渡した。
 ふと、一点に視線が吸い寄せられた。
 浴衣にじんべい、Tシャツ、タンクトップ、あるいはアロハ。リラックスしきった楽な服の行き交う中、その背中は、明らかに周囲から浮いていたのだ。
 どこか、見覚えのある濃紺のスーツ。
 その傍らに、はっきりと見覚えのある少年の姿があった。
「あっ真庭さんっ」
「どこ行くんですかっ」
 反射的に爽風は人込みをかき分け、大股で歩み寄っていた。
「渉!」
 涙に濡れた瞳が見上げる。次の瞬間、腕の中に小さな体が飛び込んできた。
「……探したぞ」
 ぽんぽん、と小さな背中を軽く叩く。ぎゅっとしがみつく手に力がこもる。
「よかったな、ボク」
 スーツの男性が顔をほころばせる。
「お父さんに会えて」
 もはや突っ込む気力もない爽風だった。
「ありがとうございました」
「すいません、ご迷惑かけちゃって」
 代わって、宏美と透がぺこりと頭を下げ、てきぱきとお礼を言った。(お父さんうんぬんについてはさりげなくノーコメント)
「いや、気がついたら、この子がちょこちょこ後をついてきてまして……」
「ええっ」
「こ、こいつが?」
「信じられん……」
「名前聞いても返事してくれないし、どうしようかと思ってたんですよ」
 眼鏡の奥で、ほっそりした目がにこりと笑う。
「あっ」
 上着のボタンが一つ、とれていた。
「あなた、もしかして」
「はい?」
「前に、一度お会いしてますよね?ビデオ屋で……」
「……ああっ」
 男性は眼鏡を直してまじまじと爽風たちの顔を見渡した。
「ソラゴト先生っ。うわ、ヒシカに、海比子までっ」
「し〜っし〜っし〜っ」
 慌てて口に指をあてる。が、幸い、祭りの雑踏にまぎれて他の人には聞こえなかったようだ。
「じゃ、まさかこの子は……」
「お察しの通り、炎部ワタノレです」
 かっくん、と男性の顎が落ちた。
「いや、お気持ちは判りますが」
「は、はは、そうなんですか……」
「ひどい人見知りでして」
「ああ。それで」
「もう、知らない人から話しかけられでもしようもんなら、ぴゅーっと脱兎のごとく!ってなもんでして……」
 自分で言ってから、はたと気付く。
(あれ、じゃ、どうして逃げなかったんだ?この人からは!)
 その時、渉がちっちゃな声で何ごとかつぶやいた。
「ん?なに、どうした?」
 爽風が屈み、渉は耳もとに口をよせる。
「……………」
「ははあ……なるほど」
 爽風は、男性の顔を見上げた。
「え?」
「言われてみれば、確かに……」
「いや、実は」
 と、爽風が言いかけた瞬間。

 ブワン、ブワン、ブワワワワンっっっ!

「うわっ」
「なに、これっ」
 聞き覚えのある騒音が響き渡る。

 パラリラパラリラパラリラっ

 昨日より、ずっと近くで。
 ひゃっと渉が飛び上がり、爽風の背中にじよじとよじ登り、セミのようにしがみつく。もはや祭りの風情も何もあったもんじゃない。
「だあっまたあのヤンキィどもだなっ」
 怒りに燃える爽風。しかし渉をおんぶしたままなので迫力ないことこの上ない。
「まあ、季節の風物詩って言うか、嵐みたいなもんですから……」
 スーツの男性が、半ばあきらめたように言った。
「じっと、去るのを待つしかないですよ」
「確かに一理ありますけど……」
 しかし、彼の言葉とは裏腹に、バイクの騒音は一向に立ち去る気配がない。しかも、どこか狂気じみた響きさえ感じる。
「なんっか、妙じゃないっすか?」
「真庭さんっ」
「なんだ、透」
「あっちは確か……」
「海のほうだ……アオイさん!」
「え?」
 スーツの男性が何ごとか言いかけた。しかし、もはや爽風の耳には聞こえない。
 猛烈な勢いで、爽風は走り出した。